ESSAY

「今日の夕飯何がいい?」

「うーん」

「肉か魚だったら?」

「肉かな、いや魚もいいな。迷う。」

こんなやりとりの後、僕は妻に怒られる。

昔から思っていた。 母親から同じ質問をされては、「うーん」と答えを濁した。 だいたい今から六時間も七時間も後の食べたいものを予想するなんて、なんて無理な質問なんだ、と。

僕のこの思考はなんとも自分勝手だなあと、大人になって思うようになったが、それでも僕は決められないタイプの人間だ。

同じように、自分以外にも決められない人に出会うことがある。

「決められない」理由は色々あると思うが、「決めない」ということはどういうことか、それが近頃わかってきた。

「決めない」ということは責任を取りたくないということ。

責任を取りたくないとき、僕らはこの「決めない」を選ぶ。

特に他人に影響を与える可能性があるとき、僕らは無意識的に決断を誰かに委ねがちになる。会議で意見を出さないのもそうだし、飲み会のお店を決めたがらないのもそうだ。

時間が流れていく以上、その決断は、自分でない誰かによってなされることになるか、そうでないときは、誰にも決められないまま、他の何かに埋もれていく。

僕は、その人は、気づいていないかもしれないが、そうやって責任の取れない大人になっている。

僕はここ数年で、決めることを意識的に増やしてきた。責任を持てる人になる為に。

夕飯のメニューを決める。

朝、傘を持っていくかを決める。

エレベーターか、エスカレーターか。

まだまだ「うーん」と悩んでは、妻に怒られることがあるが。

くだらないけど、こんな小さな決断から大きな決断までは繋がっている気がする。 自分が決断をすれば、自分を含め、誰かに影響が出るから。 良くない影響だった場合、小さな批判に晒されるから。

「あなたが魚って言ったのよ。」 「君がこのお店決めたの?」 「あっちの道の方が近かったんじゃないか?」

こんな小さな批判に晒される勇気を持てないなら、大きな批判に晒されることにも耐えられないし、大きな決断をすることもできない。 自分の人生に責任を持つには、「決める」ことを連続的に行うことでしか成り立たない。 肉か魚か。鍋か、カレーか。 答えは無限にある中で、一つの献立を決める。

まずはこの程度の決断から。

 

林 徳郎

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