賃貸契約物語 (後編)

小粥入門その三へ

「はい、小粥ですが」

電話をかけてきたのはもちろん担当の彼女だった。

「あの、先ほどはご契約にお越しいただきゴニョゴニョ…」

声が、謝罪のトーン過ぎて語尾がよく聞こえない。

いやな予感。

「…どうしましたか?」

「あのですね、
実は、家賃引き落とし専用の銀行口座を作っていただくのを忘れてまして。

例えば、今から福岡銀行で作ってきていただきヒソヒソ…」

ほらぁ…

だから言ったじゃん(白目)

現在、14:57である。
銀行の窓口は15:00まで。
無理だ。
さらに、世間は明日から三連休。
連休明けの火曜日まで、口座は作れない。

この間の悪さ、彼女はやはり天才(インド人)である。

「本日中の銀行は無理ですよ、窓口もう閉まりますし。

というか、わたしこれから予定ありますし」

ああ、と残念そうな声を出す彼女。
「えーっとじゃあ、
口座開設に住民票の転入が必要なので、今から区役所へ行っていただいて。

銀行へは、連休明けの火曜日の朝イチに行って口座を作っていただければ。すみません」

「福岡銀行でいいんですね?」

「はい、福岡銀行で!我が社最寄りのA支店でお作りいただければ、そのままお車で迎えに上がります!」

「A支店でいいんですか?」

「はい!A支店です!」

甲斐さん頼むよ(実名)。

この電話のあと、やむなく予定を変更して区役所へ。
案の定転入手続きの流れで、国保や国民年金のカウンターにまで誘導される羽目に…

なんという時間のロスだ。

三連休明け、早起きして用意を済ませ、福岡銀行へ向かった。

前日、彼女から
「お調べしましたら、A支店よりもB支店のほうが地下鉄で行きやすいと思います!」

と連絡があったので、それならとB支店へ向かうとする。

一番乗りに並び、開店と同時に窓口へ。頼むぜ福銀。

「口座開設したいのですが」
と書類を差し出すわたしを見て、

窓口のお姉さんが一言。

「お客様。申し訳ございませんが、お住まいになられている最寄りの店舗でなければ口座をお作りすることが出来ないので、うちではちょっと」

「最寄りって、何支店なんですか?」

「お客様のご住所ですと、A支店です。申し訳ございませんがそちらで」

気絶。
節子、それB支店やない。A支店や。

最初の通りにしとけば何の問題もなかったのに、節子がB支店に行ってとか言うから、ホタル死んでしもうたやない…と、わたしの中の清太が黙ってない。

いや、気絶してる場合じゃない。
昼には荷物が新居に届きまくる。
午前中のうちにとっとと口座を開設して、早く鍵をもらおう。
担当さんに言いたいことは山ほどあるけど、感情に任せてフィードバックしてはいけない。

理詰めでとっちめよう。

さぁ、急いでA支店へ。

A支店は比較的空いており、すぐに自分の番が回ってきた。

口座開設希望の旨を伝えると、窓口のお姉さんもニッコリと御礼の言葉を口にする。
よかった、正解だ。
喜びと安堵に包まれ、書類へ記入を進める。

すると、横にいた上司らしき女性が突然割り込んできた。

「あの、福岡銀行で口座作っていただけるということで、本当にありがとうございます。

ですがお客様、内容拝見いたしますと、お家賃引き落としの指定口座は【西日本シティ銀行】でして。
福岡銀行から引き落とすとなると、毎月一番高い手数料がかかるんですが…大丈夫ですか?」

大丈夫じゃない。

でも、今はとにかく契約のために福岡系の銀行口座があればいい。

午前中に新居の鍵を受け取るのが最優先。手数料のことはまたあとで考えよう。

駐車場で待つ担当さんと合流した。
そこで、彼女のミスを時系列に、シンプルに、なるべく感情を込めずに説明した。

その間、彼女はまるで遥か昔に起こった悲しい物語を聞くかのような、絶妙な顔をしていた。

そのあと、「せめてもの償い」と称し、居候先にあるわたしの荷物のすべてを社用車に乗せ、新居への引越しを手伝ってくれた。

もはや何屋さんなのか分からなかった。

それ以来、彼女には会っていない。

今後会うこともないだろう。

彼女が激推ししてくれたこの物件は、早くもトイレのタンクから水漏れがする。

 

 

賃貸契約物語終わり

 

 

小粥

 

 

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